ブロックするのは悪いこと?
「アルテイシアさんには誰かをブロックする権利がある」
最近このようなツイートが散見している。
アルテイシア氏は、誰かをブロックする行為を他人に干渉されているのだろうか?
多くの人が憤っている理由を探っていこう。
論点はブロックではない
最初にお断りしておくと、筆者たちは『公人が民間人をブロックする行為は情報規制である』という立場である。
公人が個人的に気に入らないからとブロックすれば、その民間人が公的な情報に触れる機会が減るからだ。
昨今これは情報規制といっても過言ではない。
アルテイシア氏は発言権力のある作家だが、民間人だ。
だから誰をブロックしようが、それは自由だ。
しかし民間人であっても、ブロックに批判が上がる場合もある。
それは他者への風評被害につながる場合だ。
まずこの記事で、アルテイシア氏の連続ツイートを見てみよう。
「なるほど、一理ある」と思われた方もいるだろう。
ではしろやまさんの意見はどうなっているだろう?
まとめ
アルテイシア氏に批判的なツイートをしたわけでもないしろやまさんをブロックして、一方的に対話不可能にした。
そしてしろやまさんを含めた人々をブロックしたのは「命を守るため、誹謗中傷が目に入ると命を削られる」と曖昧に述べることで、しろやまさんが誹謗中傷のDMを送るような人だと捉えられかねないツイートをした。
後に昨年しろやまさんからDMがあったこと、内容を一方的に暴露した。
しろやまさんはアルテイシア氏のツイートの書き方は違うと思っても、ブロックされていては訂正もできない。
【しろやまさんがアルテイシア氏の許可なしに、DMの内容を暴露したからブロックされた】と話を捏造しているツイートも一件ではない。
その度に市井の女たちが逆だと教えているが、ツイートは訂正もされず今も残っている。
そして現在アルテイシア氏の命を心配する権力者たちは、市井の女性のひとりであるしろやまさんへの風評被害を一言も心配してしない。
これが批判されている論点なのだ。
階級差とクレジット
しかしブロックの一件に関しても、片やSNS上でしか発信手段を持たないしろやまさん。
片やwebコラム・本の出版・youtubeや講演会など多くの場で意見を述べられ、出版権力も発言権力もあるインフルエンサーのアルテイシア氏。
二人の立場は同等だろうか?
出版権力があり発言権力のある側=『恵まれた側』。
『恵まれた側』はできることが多く、政治家と懇意で鉄道会社と会えスタッフも弁護士も雇える。
では逆に『市井の女性たち』はどうだろう?
今までに痴漢被害に遭った、身近な人が被害者になった女性で、鉄道会社や警察に訴えた市井の女性たちはいただろう。
しかし鉄道会社、警察、政治家は、彼女たちの声を真摯に聞き入れたことがあっただろうか?
市井の女性たちは、ふつう権威のある知り合いなんて居ないし、鉄道会社には痴漢痴漢言ってうっとうしいと思われてるし、弁護士どころかバイトすら雇えない。
そもそも自分が非正規労働者なことも多いだろう。
この個人の努力では埋めることのできないお金持ちと一般人の格差を、階級という。
【 #共通テスト痴漢撲滅運動 】市井の女性、訴訟を仄めかせられる
世界はTwitterの外にある
これだけTwitterで盛り上がっていても、学校の同級生や仕事場の同僚たちはこの問題を知るよしもないだろう。
筆者はもちろん「Twitterの中でどれだけ騒ごうが無駄だ」と言いたい訳じゃない。
最後に共産党員のきださんへの、JCPサポーター(共産党サポーター)の方の連続ツイートをみてほしい。
この陳情を閲覧してもこの事態は「ネット上で騒いでいるだけ」と片づけられる問題だろうか?
Twitterも世界の一部だが、世界はTwitterの外にある。
アカウントの先には、実在する市井の女性たちがいるのだ。
連綿と続いてきた市井の女性の足跡を明日に繋げるため、最善を尽くして現実に行動しているのだ。
しろやまさん
しろやまさんに賛同し受験生を守る活動を続けてきた、数多の名も無き女たち
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